マナー

陸路渉

 険悪な空気が場を支配していた。

 地元へと向かう電車の中、二人掛けの座席。
僕は窓側の席に座っていた……進行方向を向いて……。
 視線を感じて視線をそちらに向ける。視線が斜め向かい(通路側の席)に座っている人と一瞬だけ絡まる。慌てて視線を反らされてしまう。溜め息が漏れた。それだけでその人の落ち着きを奪ってしまう。
 ──仕方のない事だ──
窓枠に乗せた肘の先─手の内にあった缶コーヒーは大きく歪んでいた。恐らくは顔も──。 はたしてどれだけ耐えたのだろう……。答えは手の内の缶が示していた。
 いつまで耐えるのだろう…。決まっている。次の停車駅…終点である地元に着くまでだ。 軽快な曲が静寂を保った車内に侵入する……。
 …グシャリ!
手の内で新たなカウントが刻まれた。
 ──このカウンターももう駄目だな…── カウンターが無くなったら誰が僕を止めてくれるのか?恐らく誰も止めないだろう…。向かいの人にそれ程の勇気があるとはとても思えない。ましてや今のこの場の空気は僕を後押しこそすれ引き止めようとはしないだろう。…せっかくここまで耐えたのに…。
 またあの曲が静寂を破る…。
……ボギィン!
 かなり絶望的な音が手元から聞こえる。
 ──もう少し持ってくれ!
   でないと今迄耐えてきた俺まで…─
 視線を精神の破壊者が来る方へと向ける。目星をつけていた男は先の駅で降りていた。
 ──あの時は安堵したというのに!──

 そして最後の宣告がやって来た──。
 手の内でカウンターの断末魔の悲鳴が上がった──。
 ──もう止める者はいない。マナーという   ものをたっぷりと教えてやろう!──
 視界に死人のような顔色になって震えている人が入る。あまりにも哀れなその姿に胸がチクリと痛んだがあえて無視を決め込んだ。
 ──今は教育する事が先決なんだ─そう心に言いきかせて……。
 その時である。僕が待ち望んでいた声が車内を駆け巡る。
『まもなく終点~。終点でございま~す』
 ──車内アナウンスだ!
   耐えられた!
   耐え抜けれたんだ!──
 喜び勇んで立ち上がろうとすると違和感を感じた。
 ──どこからだ?──
 全神経を尖らせ違和感の源を探る。
 ──左?
   左手からか?──
 視線を左手に走らせる。手の平から一筋の黒い液体が伝わってくる。落ちていた……膝の上に置いていた鞄に。染みが拡がる様を見ながら言葉がこぼれ落ちた。
「最悪や」
 それが開門の呪文であるかの様に自動ドアが一斉に開く。

 ……携帯の音は聞こえなくなっていた。哀れな向かい人も──。
「最悪や」
 もう一度だけつぶやき辺りを見回す。何かに当たり散らさねば鬱憤が晴れそうにもなかった。
 車内には手頃な物がなかったので車外に視線を這わせてみる。目の前にあった看板に目が止まった。
『人のフリ問う前に我がフリを問え』
 看板にはその一言だけが書かれていた。……大きく。死人のようなあの顔が鮮明に浮かび上がり──。
「すまない」
 僕は誰もいなくなった座席に向かって一人謝っていた。

なんとなく電車内での日常(?)を書いてみました。
(もちろん一部フィクションを交えています)
……感想に苦しむ作品であるのは解ってはいますが
感想などいただけるととても有り難いです。
この作品は始まりこそ思いつきの突発物ではありますが、
いろんな人からの有り難いご意見・ご助言のおかげでいろいろな事を
知る事が出来ました。
ですので僕的にはこの作品を始めた事は大成功と言えます。
これからもこの様な企画をやっていきたいと思います。

2001年11月某日  陸路渉